もうしばらく前に見たドラマ。
Netflixで視聴できる"悪霊狩猟団カウンターズ"
この感想もまだですが、このドラマの主役の子、チョ・ビョンギュくん。
菅田将暉さんに似てるなぁと思っていたら、
どうやらそんな声があるようで、
菅田将暉から不思議や謎めいた部分を抜いたような感じが良かったので、
その子の出世作という、”スカイキャッスル”
そんなに興味のないジャンルのドラマですが、見てみることに。
前情報はそれだけで見始めましたが、
韓国の学歴主義を背景に、上流階級の人達の教育ママ達の、
見栄の張り合いドラマかと思いきや、おっとどっこい。
予想に反して、とても、見応えのあるドラマでした。
勿論、その韓国の厳しい学歴社会を背景として描かれています。
あらすじとしては、一人の学生がソウル医大に合格し、
順風満帆、これから華々しい人生が送れると、
周囲の誰もが思ったところに、その母ミョンジュが、猟銃自殺。
合格した子供、ヨンジェは医学部へは入らず行方不明に。
そして神経外科医だった父親も、病院を辞め、スカイキャッスルから姿を消す。
そしてずば抜けて教育熱心な専業主婦ハン・ソジンの手元には、
ミョンジュが亡くなる前に貰った、とある入試コーディネーターの紹介状。
居なくなったヨンジェの復讐心溢れる日記。
そこからドラマが展開していきます。
SKYキャッスルは、富と栄光、権力とお金を手にしたものだけが住まう場所。
子供の成功が自分の、または家系の繁栄栄光。
自慢であり、子供の優秀さが自分自身の優秀さ、
秀でている人間であるという自負。
お金をどれだけつぎ込んで、他のすべてを犠牲にしても、
優秀な大学へ子供を合格させることが成功で、
そうでないものは、生きていることすら否定されるような価値観の中で、
それを当たり前としつつも、喘ぐ子供たち。
いやー、おととい見終わったけれど、
ストーリーの展開と、セリフ、全ての出演者の演技力、全て申し分なかったです。
主役のハン・ソジン役の人、ロイヤルファミリーの主役の人ですよね。
ヨム・ジョンアさんですが、ロイヤルファミリー半分ぐらい見て、
奥底のドロドロした感じがだめで、観るのをやめていたので、
今回も嫌になるかなと思いましたが、いや、全然、そんな事なかったです。
もう、こんな意地悪で気も心も強く、
プライド高く虎視眈々とした役が出来るのは、
ご本人にも、そんな強さがないと出来ないものだと思うので、
本当にある意味尊敬しました。
入試コーディネーター、キム・ジュヨンは、
昔の日本のテレビドラマ、「女王の教室」の天海祐希さんを連想させる出で立ちで、
私はあのドラマは全部は見てないけれど、
そっちは、一見厳しい鬼教師だけど真の子供の自立を目的とした、
深いところで良い先生だったと思いますが、
こちらは全く逆で、厳しそうに見えて、その実内面にある冷酷さで、
子供やその親を、洗脳しコントロールして、
その家を壊すことで、自分の想い=深い深い渇望感を埋めようとします。
そんな事とはつゆ知らず、コーディネータに子供を預けるハン・ソジン。
その危険性に気づいて、ハンソジンに助言する、
高校の同級生で、SKYキャッスルに新たに越してきたイ・スイム。
キム・ジュヨンの危険性を疑いつつも、
ソウル医大へ長女を入学させる目的から、離れられないハン・ソジン。
ハン・ソジンは、何度もキム・ジュウォン疑い、
何度も子供を離れさせようとしても、やはり自分の欲に負けてしまう。
それは、自分自身の生い立ちの、劣等感からきていて、
娘を社会的に立派に育て上げることが、
自分を肯定する、穴を埋める代用品でもあるし、
姑からの軋轢などもあり、なかなか離れられない。
最後は、起きた事件の真相を知りつつも、
その事を告白すると、自分たちにも影響が。
しかし、告白しないと無実の子が罪に問われる状況の中で、
それでも、自分の子供の事を優先させていく。
しかし・・
という感じですが、
本当に、話を見進めていくと、
このハン・ソジンの、絶対合理主義というか、
余りにも利己的な行動に、目玉が飛び出るほど、驚きます。
物事の善悪や、人としての良悪、そんなものは、
判断基準のどこにも無い時間が、延々続きますが、
いやーなんというか、ほんとある意味強い人だなと、
恐れ入ってしまうほどです。
喧嘩しても罵倒し合っても、すぐに立ち上がります。
でも、この人を見ていて、
この人が学歴偏重主義社会の犠牲者という気持ちにはなりません。
大抵のドラマでは、間違った(と思われる、善に基づいてない)行動をする、
この人がこうなってしまった背景が、少し物憂げに描かれたりしますが、
そんなシーンは全くなく、んーと思っていたら、
最後の最後で、拘置所の面会所の中で、
キム・ジュヨン言われたセリフが、全てを言い表していました。
そして、ドラマの最後のシーンも・・・
思わせぶりなセリフ。
「本当に後悔しませんか。」
この辺詳しく書くのは憚られるので書きませんが、
そうですよね。
悪い出来事が起こり、人が行いを改めても、
エゴの残滓というのは、体の奥に染みついて取れない部分があります。
どんどんまた同じような環境の中で、
似たような影響を受けると、そのエゴがむくむくと力を取り戻し、
間違いを繰り返してしまいます。
そうならないためには、周りも一緒に代わること、
または新たな環境や人間関係に身を置くこと。
それは、例えば犯罪でなくても、例えば日常的な毎日の中でも、
あー折角断捨離したのにまた散らかる、とか、
あー折角ダイエットしたのにリバウンドして余計太った、とか
アルコールやめたけど、つい一杯が引き金で習慣に。
タバコやめたのに、つい一本が、
あれをやめたのに、これをやめたのについまた・・と、
つまり人間の本性というのは、なかなか変わりづらいというのが、
本当なのだと思います。
私も色々あって、ここ数年は、また前と同じ失敗をしないようにと、
自分を引き締めていましたが、そうすると窮屈で、
自分らしさが発揮できない面もあり、
昨今、自分らしさを大事にする風潮が高まる中、何が正しいのか
社会や人間関係の中の正しさと、自分らしさの折あい。
勿論、犯罪などのレベルではないんだけど、
本音はこうだけど、これを言うとこの人が傷つくかなとか、
自己を否定し続けました。
しかし、エゴの残滓はあれど、それも少しづつ年と共に、
治まっていくのも本当だと思います。
生きていく中で、段々と欲が落ちていく。それも事実。
なので、そこを見つめないことは大事だよね。
反対に意欲が出なくなるから。
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しかし、子供が、いい高校に受かったり、
そこそこの大学に塾に通わず合格したときは、
私的にも自慢だというきもちは分かりました。
それというのも、この主役のハンソジンは、牛の生血を売っている、
と殺場の娘で、学歴も大したことがなく、
それを隠して結婚した家は、上流階級なので、プレッシャーも半端なく、
私も、父親はガサツな労働者で、気も荒くどなるのでいつも家は戦場のようで、
今思えばゲスい部分があったなと思います。
体調不良を理由に高校を中退しており、大学にも行ってません。
若い頃は、それでも問題なかったけれど、段々と年齢が進むにつれ、
学歴の違いで、その後の関わる人間に差が出てくることや、
若い頃に勉強をきちんとする過程や時間、自分を見つめる時間があることは
とても大事なことだと思うようになりました。
なので、娘に過度な期待はしなかったけれど、
ある程度の学校に行ってほしいと思ったことや、
学校の担任にも無理と言われた高校や大学に受かったことは、とても喜ばしく、
合格という事実が、ある意味自分の劣等感を払拭してくれる部分があったことを、
否めないんですね。
ただ、私はそれを自分の欲の部分もあるなと自覚していたので、
娘が高校の一年生の頃、専門学校or大学を選ぶ時点での子供を見て、
ゆっくり大人になる子だから大学だな。。と感じた感性や、
この大学がいいよと薦めた直感は、当たったなと今は思っていますが、
当時は、本当に、この子を見てそう思ったのか?
私の欲で、そこに行ってほしいと思たのではないか?
と、なんども自問自答しました。
でも、高校受験の時は、このぐらいのレベルの学校に行ってないと、
後の選択肢が狭まるから、がんばって、と、思っていましたね。
先生は無理といったけど、
「でもそこに合格すると、自転車で15分だし、近くて便利だよ。」
と、違う欲で娘にはっぱをかけたりしました。
でも、そんなころ、私はとても体調もメンタルも落ちていて、
出来たことはとても少なく、体調管理と食事の世話、あとは祈ることでした。
でも、資金がふんだんに在れば、このハンソジンみたいに、
塾に通わせたり、いい家庭教師を雇ったりしたかもしれませんね。
実際、娘は高校3年間塾には行きませんでしたが、
同級生で部活も一緒の面々から、
「塾にも行かずに、○○大学なんて受かるわけないわ。」と
陰口をたたかれて、泣いたりしていました。
しかし最終的には、うちの子は第一志望校に受かり、
娘の陰口をたたいていた子は、合格確実と言われた学校に落ちまくり、
私は、「意地悪言うからや。」と意地悪な感情を抱きましたが、
実際その子に会ったら、「二次募集頑張れよ!行けるって!落ち着いて!」
と、なるんですけどね。
まぁ、どっちの感情もありますよね。
(苦笑・人間が出来てないもので。)
結果、「塾にも通わず合格って素晴らしい。」でしたが、
思えば、私の姉弟とも、学習塾に通ったことはないけれど、
それなりの大学に入ったので、それはそれですが、
幼いころから多くの学習教育機会を与えられて、
それをこなしてこれた方は、底力が強いなという印象もあります。
大学に入ってから、幼稚舎からその学校に通っている人たちの、
それまでにやってやりこなし蓄えた力は、確実にあるなという印象です。
うちの娘みたいに公立ののんびり小学校とは、わけが違うんだな。
でも、彼女にはそれで合ってたから、それでいい。
なので、ハン・ソジンの娘は、最終的には高校を退学しましたが、
もともとのスペックが高く努力も積み上げていける子なので、
目指すものを今度は自分できちんと見つめ
ちゃんと自分の力でかなえていくんでしょうね。
なんて思いました。
どうしてもソウル医大に固執するおばあちゃんに放った台詞が良かったです。
「わたしとおばあさんは、年齢も外見も違う。考えも違うのが当然でしょ。」
「おばあちゃんが行けばよかったのに。」
「ソウル医大に行くかは私が決める。」と。
本当に、社会的な成功、お金と繁栄が全ての成功と、
私を否定しまくってきた、私の父親に、こういえばよかったんですね。
「お父さんとあたしは違う人間だよ。」と。
そして、「私の幸せは、私が決める。」と言えばよかったんだなきっと。
学齢偏重社会は、今は韓国の問題としてあがってきますが、
数十年前の私が入学した高校も、入学式の日の先生の第一声、
「この高校は、国公立大学に現役合格することを柱としており、
昨年も、○○名の現役合格、東大が・・京大が・・・。。。」でした。
姉が行ってたし、先生もみんなも目標にしていたし、
田舎では普通科の高校が少ないし、
親の為にも公立高校に行くものだと思っていたし、
長いこと入院して、余り情報の無かった私は、
あまり考えず底を受験し、つい受かってしまったけれど、
「(心の声)・・・・失敗した。来るところ間違た。」でした。
なので、ハンソジンの旦那さんの台詞、
「 言われたとおりにやって、今この年で生き方が分からないよ。」
に、 共感する部分がありました。
そんなこんなの回想込みの感想ですが、
ドラマとしては、周りを取り巻く人たちの個性が際立ち面白くて、
それを書き始めるときりがないけれど、
トッケビの悪い人(笑)と、その家族は封建家族の様相、
ファン教授と、その奥さんと子供は癒しを提供、
カン・ジュンサンの後輩家族その奥さん、
教育ママになりたいけどなれない元ヤンファミリーは笑いを提供、
そして、キム・ヘナ。
とっつかみあいの喧嘩をしても、もめても噂の標的になっても、
またすぐ普通に話したり、赦したり、あやまったり日和見だったり。
その様子も、このSKYキャッスル村の中で、
うまくやっていく術でもあり、困難を乗り越えた緩い友情が芽生えたり、
そのころっと変わる態度が不思議感もありつつ、
うまい生き方でもあり、怒りや恨みに囚われないところが、
知性のある賢い人たちなんだなという部分も、感じられました。
そして、後半に進むにつれ、心の端っこで感じました。
「生んだ日のことを、思い出そうよ。」
そして、書きながら思います。
「生まれてきてくれた日のことを思い出そうよ。」
ただその存在だけで、喜び溢れた瞬間のことを思い出せば、
本質的な大事なことを思い出せるからと。
ファン教授が言いました。
「子供を持つことで親は忍耐を学ぶ。」と。
全体的に、和訳ベースですが、あぁ、原語で理解できるようになりたいが、
努力は出来ない。
努力は才能。
努力を努力と感じないことが才能の居場所。
さて、私の才能はどこでしょ。
文章を綴ることでは無いのは確か。
散文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
さて悪役の、キム・ジュヨンですが、
そばでずっと支えてくれた秘書の人が、最後にバスの中で微笑みましたね。
愛でしたね。
早く、そこに気づけたら、胸の奥の深い渇望は、
緩んでいたかもしれないね。
珠玉の台詞が沢山です。
まだの方は、是非。
「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」予告