balideki’s diary

主に韓流ドラマや映画を見て感じたことなどを人生と絡めながら書いています。ネタはばれますのでご注意を

最終話のソン・ソックの迫力よ!。Netflix配信 『殺人者のパラドックス』

さて。

 

「半地下の家族」や「その時私たちは」などで名の知れたチェ・ウシクと、

「サバイバー60日間の大統領」で初めて「この人だれ?」と思った後、

そこから名前があるとつい見てしまう、今を時めくソン・ソック。

んー「私の解放日誌」は、本当に良かったですね。

その二人が出演とくれば、楽しみにしないわけがない。

 

その時書いた記事はこちら↓

balideki.hatenablog.jp

 

ストーリーやキャストは他の沢山のサイトで見ていただくとして、

まぁ、3話4話の辺り迄で、「これ何よ?」ってぐらいのパラドックスぶり。

え?え?

という感じでストーリーが進んでいきます。

 

 

チェ・ウシク演じる主人公のイ・タンは、お察しの通り殺人者ですが、

その殺人者になっていく過程と、殺人を継続する運命的なものと、

ハッカーのノ・ビンに、ある意味意図的にコントロールされつつも、

彼自身が備えていてその過程で露わになった、

特殊能力のような、悪人を見抜く力、

そしてその悪人たちが、とてもパラドックスに展開しています。

 

そこに、刑事であるソン・ソック演じるチャン・ナンガム。

彼もまた、背景に抱えるもの、目の前にあるものが、

チェ・ウシクの殺人パラドックスに翻弄されたりしつつ、

危うさを嗅ぎ取ったりしつつ、ストーリーが進んでいきます。

 

そこに連続殺人犯で元刑事のイ・ヒジュン演じる、

ソン・チョンが絡みこんできて、

また更にパラドックスな展開が広がります。

 

 

この二人の秘めたる感情表現が鳥肌もの



そしてソン・ソック。

いやーこれ、ストーリー書いたらだめやろうけど、

最初のほうとかは、チェ・ウシクが主人公なんですけど、

最終話の展開と、真実を知った時のソンソックの

その複雑な感情入り混じった表情と迫力と、芽生えた”殺意”。

刑事である事実なんて、吹き飛んでしまうほどの怒りの表現に

息をのみました。

 

 

そしてそこに絡んでくるチェ・ウシクですが、

回を追うごとに、人間味が増してきます。

チェ・ウシク演じるイ・タンは、この世に何しに生まれてきたのか、

無為に過ごす日々の中で偶発的に殺人を犯し、二回目で殺意を覚え、

その後は、まるでこの為に生まれてきたかのような、

才能とやりがいのようなものを正義の名のもとの殺人に対して感じつつも、

うなされたり幻覚を見たりします。

しかし、その過程の中で、

反対に無関心だった家族への愛着・愛情に目覚めていきます。

だけど最終話で見せる、凄みのようなもの。

その辺のコントラスト、最後まで見ないと見とれません。

変な言い方だけど、殺人こそが彼を、大人にしたというか、

地に足をつけて物事を処理する力を身に着けたというか・・

そこら辺もパラドックスだなと思いました。

 

これが自分の選択いやこれまでも選択してきたんだ


最終話のセリフ。

「これが俺の選択。いやこれまでも選択してきたんだ。」

みたいなセリフがありました。

丁度、人に勧められて、選択理論のセラピー本を読んでいたので、

何某かかぶるところを感じました。

人が選択するときは、無意識がほとんど。

だけど意識的により心地よいほうを選択すると、人生はより良い方向へ。

 

 

とにかくお勧めのNetflix新作です。

殺人物というより、心理物という感じで私は観ていました。

「この時のこの人どんな感情?」

その連続でした。

まだの方は是非。お勧めです。

 

 

 

 

 

 

私の夫と結婚して〜12話まで

さてー。Amazonプライムで配信中の

"私の夫と結婚して"

 

パク・ミニョンが、9キロ?7キロ?

とにかくどこをそんなに痩せるところがあるの?

というほど普段から細い彼女が減量して臨んだドラマということで

話題になってましたが、

 

今現在12話の途中までみたところだけど、

どういうカラクリで、こういう転生なのか、

パラレルワールドなのか、天の恵みで

人生をやり直す展開?になっているのか、

先の読めない展開で、ついつい見入ってしまいます。

 

相手役は王女ピョンガンのナ・イヌですが、

最初誰かさっぱりわからなくて、

誰だっけ?こんな人おったかな?って感じでひた。

ピョンガンの時よりものすごく背が高く見えて、

スマートでカッコいい。

あんまり演技は上手いと思わないけど、

正統派ダンディ男子になりそうですね。

 

この2人ともが、パクミニョンの父親がキーマンとなって10年前に転生して、

幸せを掴むには?何が必要?何が大切?

という感じが核のように、

今のところ進んでいます。

 

パクミニョンは頭も良いし、顔も綺麗なのに、

どうしてあんなクズ男と結婚して、

姑に尽くしまくったか、

それはやはり、幼い頃の出来事から、

自分に価値がなく、こんな私のそばにいてくれるのなら

誰でも良いから、一人になりたく無いという想いが、

何よりも勝ってしまったあげくのこと。

自己否定は、不幸を招く。

実は私の人生も、ほぼ、それで締められていた。

 

私は生きながら生まれ変わろうと努力したけど、

本当に、一度死んだぐらい苦しい思いをしないと、

変化するのは難しいことだった。

その一つが離婚でもあったし、

病気にもなって手術にもなり、

あちこち壊れて辛さを一人で抱え込んだ。

 

そんな部分を重ねながら見ていたことに、

今このblogを書きながら気がついた。

全ては自分の問題だと責め続けて、

そんな事しても何にも解決しないとわかっていても、

そんなんじゃ生まれ変われないとわかっていても、

なかなかその渦から抜け出すのには時間がかかった。

人生は選択で出来ているとわかっていても、

これから、ではなく、昔の自分を責めるしかできなかった。

それは今となっては過去形だけれど、

痛みは何処かに残り続ける。

気にならなくなっても、何かあれば、疼きはぶり返す。

ドラマの中のパクミニョンも、同じように、

もう今はどこにも無いはずの過去に揺さぶられる。

 

しかし、、、

 

このドラマ転生には実は、地球時間では、

かなりの時間軸が曲げられているのかも知れないね。

死という形で、一度肉体から解き放たれるとき、

何らかの智慧を与えてくれるのかも知れないね。

 

さて、この後、パクミニョンは、ナイヌは、

どんな選択をしていくのか。

どれだけ自分を愛していけるのか。

わたしも、これからどんな選択をしていくのか、

どれだけ自分を愛せるか。

大切なものは、コトはなんなのか。

 

続きを楽しみにしたいと思います。

踏ん張れ!

 

 

 

 

 

 

Netflix配信 無敵のマ・ドンソク 『バッドランドハンターズ』

さて。最近人気爆上がりのマ・ドンソクさん。

今月2月23日には、「犯罪都市3」の公開も控え、

青木崇高さんがでるということで見に行くのを楽しみにしていますが、

 

そのマ・ドンソク主演のNetflix配信映画ですが、

んーーーーーー設定がですね、なんともですね、

先日観た『コンクリートユートピア』とそっくり。

世界は崩壊して、一つだけコンクリートの建物が残り、

そこには何故か水と食料が・・・

 

その中で起きている出来事は、まったく???全くかなぁ・・

まぁ、違うんですが、共通しているのが、

『一人の男の欲望と狂気に導かれた間違ったニューワールド。』

という感じでしょうか・・

 

 

コンクリートユートピアイ・ビョンホンも、

バッドランドハンターズのイ・ヒジュンも、

失ってしまったこと、モノ・事実を受け入れられずに、

狂気の沙汰へと走り出す、という意味では同じです。

ただ、違うのは、そこを、無敵のマ・ドンソクが勧善懲悪、

悪い奴ら、変異した化け物たちを、

バッタバッタとなぎ倒していく、という展開、という感じでしょうか。

 

 

おっちゃんは強いんやで

 

それにしても、韓国ドラマ・映画は、イカゲームやスイートホーム然り、

ゾンビやモンスターや、終末世界や、未曾有の災害が多いなぁ。

もともと、記憶喪失や、パラレルワールド系も多いし、

その派生的な側面もあるけれど、このバッドランドハンターズは、

なんで銃や食料がたんまりあるのかなどの設定は、少し甘いので、

ついつい、最近見たコンクリートユートピアと比較してみてしまうけれど、

気楽に娯楽物としてみることもできる感じなのかもしれないけれど、

でもやはり、博士を演じたイ・ヒジュンの狂気は、見てて苦しい。

娘の死を受け入れられず、愛を飛び越えた執着。

生と死はいつだって隣り合わせなんだよ。

どうしようもないんだよ。

 

 

だけど幸か不幸か、私はものすごく近しい人を亡くした経験がまだない。

だから、同じく同じ立場になって娘を失ってしまったら、

私も正気をなくさないで居られると、言い切ることはできないのだ。

子を持つことは最高の幸せを得ることでもあり、

最大の不幸を味わう可能性を得ることでもあるから。

 

 

私も、ぼさっと生きている今だけど、

そんなことがあったら、銃を手にすることがないと、

誰が言いきることができよう。

その辺は結局、狂気と集団の恐ろしさを、

コンクリートユートピアほど、描いている訳ではないけれど、

同じような感想を抱きました。

 

菩薩のように”ぼさっ”と生きてたい

 

ま、痛快アクションとみてもいいけれど、

あんまりそんな気分に離れない気持ち悪さがありました。

短い映画なので、マ・ドンソクの強くて優しくどこかコミカルなキャラクターと、

切れ味のいいアクションを目的に見るのもありかも。

 

まだの方は是非。

イ・ソンギュン氏を追いかけて。シベリア鉄道から~パスタ〜恋が出来るまで〜

もう先々月の事になるけれど、

別の記事にも書いたけれど、名優イソンギュン氏が亡くなった。

そのことについてはこちら、

イソンギュンの訃報 - balideki’s diary

に、思いの丈は書いてあるから省くけれど、故人を偲んで、

見ていなかった、~パスタ~恋ができるまで~を見てみることにした。

 

 

コヒョンジュンとの共演とは知らないまま見始めたし、

10年以上前の作品だけれど、見ごたえはあった。

というか、ストーリーというか、調理師の面々の癖の強さには、

少し見ながらのだるさもあったけれど、ストーリーよりも何よりも、

あのイ・ソンギュン氏の魅力的な声にずっと聞きほれていた。

声を追いかけていた。

 

演技力はふとした表情などは言うまでもないけれど、

やはり、「ボンゴレ・ハナ!」という声だけでも、

とろけ落ちてしまいそうに、心の奥に、脳の奥底に染み渡るのだ。

私って声フェチだったのか?と今更ながら気が付いた始末。

 

ボンゴレ、ハナ!」に関しては、

イ・ソンギュンやキム・ナムギル等の俳優さんがシベリア鉄道で旅をしたときに、

ちょいちょい「ボンゴレ・ハナ!」と、イ・ソンギュンさんの声真似をする、

若手俳優さんの姿が映っていて、とても印象的で、

いつかこのドラマを見ないとと思いつつも、

新しい作品を追いかけるの必死で、遅ればせだったけれど、

まさか、こんな想いで見るなんて、という感じでした。

見進めるごとに、やっぱり、「勿体ない」としか思えないのだ。

「なんで・・・」と思ってしまう。

それは、何度も言うけれど、そんな人には思えないのだ。

 

自死を有名人が選んだニュースを目にしたときに、

日本人とか、よくバラエティやインタビューなどで見ていた顔だと、

「あぁ・・いきるのしんどそうだったもんな・・」とか、

「あぁ、無理してはるの、見て取れてたけど、そうだったんだ。。。」とか、

思うことがしばしばある。

私は共感性高いので、しんどそうとか無理してそうとか、

悩んでそう、毒を持ってるな、とか、よく察知しやすいけれど、

イソンギュン氏は、出演作品しか知らないから、

普段の顔が、わからないのだ。トーク番組とかでていたのかな。

見たことないんだよな・・

 

だけど、その中でも

www.lala.tv

 

このドキュメンタリーを見た時も、

そんな陰はみあたらなかった。

もちろん、ドキュメンタリーの作品だから演出もあるし、

出演者は演じているとは思うけれど、それでも所々に「素」が漂うし、

セリフがすべて決まっているものとは少し違う。

しかし、そう思う私を勘違いさせるほどの根っからの俳優だったのか。

それはもうわからないけれど、

もしまだ見ていない方がこの記事を読まれて、

シベリア鉄道の旅のドキュメンタリーを観たなら、ぜひ感想を聞かせてほしい。

私が、綺麗なものだけを求めすぎているんだろうか。

 

葬儀やその直後の表彰式で、この旅を共にした、

キム・ナムギル、キム・ミンシク、コ・ギュピル、イ・サンヨプが、

とても悲しんでいる姿が頭に浮かんだ。

時間に流されてしまっているけれど、本当に本当に、

ただの憶測とでっち上げとマスコミの追い込みが拍車をかけたのなら、

そんな世は、すこしおかしい。

そう思う気持ちがパスタを湯がく映像を見ながら湧き上がってくる。

そんな感じでした。

 

観るときは、本当はきちんと切り離せたらいいんだろうけれど、

人間ができてないので作品とは関係ないとか言いきれない。

様々な思考感情が頭をよぎるのが事実なんだ。

 

 

実際にNetflixなど各社OTTでは、イ・ソンギュンの作品が増えている。

惜しまれている事実がそこにあるんだ。

まだの方は是非。

心の奥底まで心地よく響き渡るあの声を聴きに。

 

最高のケミだった

 

 

 

 

Netflix配信 無人島のディーバ

んー。。。

 

素直によかったね!

良いドラマでしたー。

パク・ウンビン綺麗!。

恋慕の時の姿も綺麗だったけど、今回もまた本当に綺麗。中身も綺麗歌声も綺麗。素晴らしい。

 

この透明感は作られたものではなくて彼女自身のものよね。



 

さて、ストーリーですが、私はみる前は先入観から、またこれ憧れの歌姫が無人島帰りで世間知らずのパク・ウンビン演じるモクハを利用するようなストーリーかと思いきや、いやいや、モクハは賢い子だった。1人で無人島で過ごす15年間もの間に、凄く人生を思考し、学んでいた。大いなる自然と向き合う生活の中で、畏怖と恵みと自己が育ったんやね〜。ドラマながら素晴らしい。

 

孤独は人を強くするけれど、長すぎた孤独は普通なら絶望を生むけれど、それでも希望を持ち続けたのは、ある出来事があったからで、それはドラマの中に描かれていた。その辺の折り込み具合が素晴らしく気に入った。

 

そして、相手役はいま、二階堂ふみとの共演で話題のチェ・ジョンヒョプ!。このドラマの中では、最初の方ではあまり笑わない役だったし、えーと確かわかっていてものハン・ソヒに恋する役も、優しい空気の穏やかな役所で、そんなに笑顔のシーンはなかったけど、二階堂ふみとの『Eye Love You』は満面の笑顔満載っぽい!!。(まだ見てない。今晩見るぞ。)。

 

それがまたNetflixで配信となれば、今まで二番手男子だったのが、人気爆上がりするのは間違いなし。そしてまた、これまで韓流に興味のなかった若い世代の方々も、韓流沼落ち確定!となるに決まっている(かもしれない。笑)ぐらいのインパクト。どういう経緯で選ばれたのかインタビューとか、また見てみないと。

 

話が逸れたけれど、無人島のディーバのストーリー全体がとても良いものだったね。チェジョンヒョプのお父さんが(途中まで仮の父)が、本当のお父さんに刺された時は、死んでしまうの?そんな!!ってなったけど、ほんま、亡くならなくてよかった。

 

そして、本当の父。

寂しい人だったね。最初から最後まで。

彼にいろんな変遷があって家族を支配し暴力を振るうようになったのは慮るけれど、それをチェンジする力や思慮深さがなく、ただ欲望と感情で動いても、愛は得られないよね。

 

同じように娘に暴力を振るっていたモクハの父の最期も、なんとも言えない儚いものだったし。

 

個人的な過去の出来事の積み重ねがあるから、つい家族の姿に注目して見てしまうけれど、この今の時代においては、家族の定義が、血から愛へと変わったことは、もう否めない真実なんじゃないかな。

 

モクハがディーバとなる過程は紆余曲折はあるけれど、そこは余りある才能と無人島で生き抜いた底力と自己の信念のお陰もあって、ちゃんと素晴らしく輝いた。最後の大舞台に立つ姿を見ながら、なんとなくMISIAさんを連想していた。もちろん、藤井風さん作曲のハイヤーラブを歌っている姿を。

 

天から与えられたものは、誰が邪魔しても、ちゃんと形になる。

 

そんな気がした。

まだ見てない方、是非とも!

おすすめ!

 

 

 

扉を開こう。光はそこに。『コンクリート・ユートピア』

観てきた観てきた。

イ・ビョンホンとパク・ソジュン共演の、

韓国映画にしては珍しく東宝系でもあちこちで上映している話題作、

「コンクリートユートピア」。

 

元旦に大きな地震が起きて、その被害もどんどん広がっている最中に見る映画としてはどうなんだろうという一抹の戸惑いを持ちながらも、イ・ビョンホンとパク・ソジュンでしょ。映画館で見ないわけにはいかない・・と出かけてきました。

 

予告トレーラーから、大筋はわかっていたけれど、見進めながらもイビョンホン演じるヨンタクには何か裏があるのも察しがついたけれど、しかしその描かれ方が凄すぎた。

 

狂気とはなんぞや

 

 

韓国映画ドラマを見始めて6年ほどのまだまだ新米韓流ファンの私としては、最初のころはイビョンホンの魅力がわからなかった。しかし、時折見る作品に彼が出てくると、ずずんと重みが増したり、リアル感が増幅したりする。それを感じるようになってからは出演作、特に映画は見てきたけれど、まぁ、今回、本当にサブタイトル通り「狂気が目覚めていく様」が恐ろしかった。どのシーンだったか忘れたけれど、途中で本当に自分の頭をわしづかみに掴んで、固唾をのんで見入ってしまった。それほど「狂気」がリアルだった。

 

反してパク・ソジュンは、いつも主役として演じているようなキャラクターではなく、言葉にするなら「とても普通の人」を、演じきった。集団心理に飲み込まれていく様、狂気が乗り移って自分を見失っていく様、「守ろう」としているのだけれど、それが本当に「守る」なのかという問いかけはたくさんあった。だけど彼はとても「普通の人」だった。公務員らしく人の為に動き、普通に家族を作って日々を平穏に過ごしたい、妻を守りたい、弱さも勇敢さも人並みの、誰も責めることができないそんな「人」だった。外から見てたらわからない、未曾有の災害に見舞われ生きるか死ぬかの瀬戸際、いざその立場になったらどうなるかわからないくなってしまうのが「人間のもつ弱さ」だから。そしてそれは生存本能ともいえる、命を長らえ生き延びようとするのは、当たり前のことだから。

 

だけど、そこで、どんな状況になっても、自分を見失わずに、おかしいことはおかしいということが、おかしい世界にどんどん変化していくのが、何より怖かった。まるで昨日書いた京城クリーチャーや剣の詩などの時代背景、日本が戦争をしていた頃の、自分を取り巻く世界の常識が一日で変わってしまう恐ろしさがそこに描かれていた。

 

誰も君を責めはしない

 

 

だけど、その中でも自分を見失わなわず、自分の中の「全」を尽くそうとする、パクソジュン演じるミンソンの妻、パク・ボヨン演じるヨンファ。

 

アパート中の人が、自分たちだけが生き残ろうとどんどんたたきつけられその気になって、わが心をどこかに置き忘れていく閉鎖的な空間の中の群集心理というのは本当に恐ろしい。それにかたや飲み込まれ、かたや自分を見失わない夫婦。お互いを守ろうとしているのは間違いなかったが・・・

 

最初は怖がっていた人の死体も、どんどん平気になっていく様、戦いも殺人も平気になっていく様なども、人は慣れの生き物というところが、恐ろしかった。

 

ただ、どのシーンかは書かないけどというか忘れたけど、この辺もう少し多めに描いてもいいんじゃないか?と思う箇所があった。どこだったかな、伏線の拾い方だったかな。

 

ヨンタクもミンソンも亡くなって、アパートも強奪されて、一人になったヨンファが辿り着いたのは、そとの「囲われていない」場所だった。そこにあったのは・・

 

私は常々、「閉鎖された空間の中の集団心理ほど恐ろしいものはない」と思っている。

それは子供のころ入院していた病院や、とある活動でかかわっていたグループや、母親が昔宗教に入信していた時の家庭争議や、自分自身の弱さを知っているから。

 

だけど、そういうものとも戦ってきたつもりだけど、あの状態のアパートの住人の一人だったら?という問いかけが、この映画を見る意義につながると思う。

 

能登半島地震が起きても、私たちは自分の生活で手一杯だったりする。

それでも、静かに心を寄せている自分も、存在している。

 

 

エンタメで終わらせるのは勿体ない。

人は性悪なのか性善なのか。

いえ。そんなものでは推し量れないんだよ。多分ね。

その場にならないとわからないが、私の信条は「愛と光」なので、

そういう自分で在ることを信じられるか問いかけた。

そんな映画でした。

コンクリートの中に、ユートピアは?

 

自己洞察にも。明日は我が身。

おすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白い」という言葉は躊躇いの、Netflix配信『京城クリーチャー』 

さて。Netflixで配信されている京城クリーチャー

今を時めき続けるパク・ソジュンと、「わかっていても」のハン・ソヒの共演と言われたら、見ないわけにはいかないでしょう。

 

だけど、予告を見た時からんー。

本編を見ながらも、んー。

何が引っかかるって、やはり日本が韓国を侵略していた時代背景。

何かの主張や政治的な意図や先入観などがあるわけではないけれど、

過去の日本の過ちに、得も言えぬ罪悪感が湧いてくるのを最初は止められなかった。

 

過ちと書いたけれど、個人的には平和に暮らしている人を、違う人種を、はたまた、欲張ってたくさんの土地を欲しがり侵略することは歴史的には繰り返されてきたことだけれど、それで今の国の分布図が出来上がっているんだけれど、第二次世界大戦敗戦国の日本は、その当時の国民の貧困や思想、切迫した暮らしや被害などが描かれることも多いから、何かにつけ被害者意識のようなものも、そこらに落ちている気がするけれど、それなりに日本だって悪いことをしてきた。それは過ち。その部分がクローズアップされると、やはり見ていてなにか同じ日本人として申し訳ないし、切ない。遠い昔々ではなく、まだ100年も経っていない地球の歴史から見たらついこの間の出来事だから。それは少し前に見た、キムナムギル主演の「剣の詩」でも感じたこと。

 

 

そんな思いを抱えつつもドラマを見進めると、日本軍の研究機関がさらなる征服・侵略、戦況の逆転を狙い、クリーチャーを作り出していくのと並行して、そこに絡む人間ドラマが展開されていくわけだけれど、まぁ、パクソジュンのキャラクターと絵力と、ハン・ソヒの「マイネーム」で見せたアクションの鋭さは、ドラマを見進めるに十分な魅力が満載だと思った。

 

 

話に絡んでくるクリーチャーは、本当になんだこれ?というようなファンタジー生物であり、ハンソヒの母であり、その時点ですでに、この話が完全なるフィクションだと理解できる。理解できるが、やはり日本人が朝鮮人を圧制、抑圧する姿は、これだけ韓国に遊びに行く日本人、日本に愛される韓国のエンタメの現状などが頭の片隅にちらついてしまうのは最後まで無くならなかった。

 

そんな複雑な思いは於いておいて。何故なら、パク・ソジュンが日本人に人気だけれど、この作品に出演することに戸惑いはなかったというインタビューを読んだからだと思う。私の思うパク・ソジュンは(政治的な思考はあっても表には出さず)、自分の俳優としての道をまっすぐに生きている正直な人というイメージだから。そしてすぐに日本のイベントにもテレビのバラエティにも出演していた。この京城クリーチャーはエンタメであるという確固たる信念のもと演じたのであろうことが伝わってくるから、最後まで見られたんだと思う。

 

ところで大好きなパク・ソジュンとハン・ソヒが共演と聞いたときは、何かよくわからない嫉妬心が湧いた。なんだろう(笑)。わかっていてものソン・ガンとのラビシーンが強烈すぎたり、その他の良くないうわさも手伝っているかもしれないけれど、パク・ソジュン様、どうかハン・ソヒとくっついたりしないでね、と心の中で願った。(笑)。

 

ドラマの話に戻るけれど、もうだいぶ見たのが前なので具体的なセリフは忘れたけれど、こんな時代が終わって、自由な時代が来るみたいな。

 

そんなシーンが最後にありましたね。

 

つまりこのドラマは、そんなきつい不条理な時代があっても、頑張って時間を経て得てきた自由と豊かさのあふれる今を大切に生きましょうというメッセージを込めて作られたものだと私は解釈しました。

 

シーズン2もあるようで。

ハンソヒとの恋の行方は?

一年ほど後になるのかな。ゆっくり楽しみに待ちましょう。

 

まだの方は、私の戯言を読んで、お一人でも見てみようかなと思って頂けたら幸い。

おすすめです。