観てきた観てきた。
イ・ビョンホンとパク・ソジュン共演の、
韓国映画にしては珍しく東宝系でもあちこちで上映している話題作、
元旦に大きな地震が起きて、その被害もどんどん広がっている最中に見る映画としてはどうなんだろうという一抹の戸惑いを持ちながらも、イ・ビョンホンとパク・ソジュンでしょ。映画館で見ないわけにはいかない・・と出かけてきました。
予告トレーラーから、大筋はわかっていたけれど、見進めながらもイビョンホン演じるヨンタクには何か裏があるのも察しがついたけれど、しかしその描かれ方が凄すぎた。
韓国映画ドラマを見始めて6年ほどのまだまだ新米韓流ファンの私としては、最初のころはイビョンホンの魅力がわからなかった。しかし、時折見る作品に彼が出てくると、ずずんと重みが増したり、リアル感が増幅したりする。それを感じるようになってからは出演作、特に映画は見てきたけれど、まぁ、今回、本当にサブタイトル通り「狂気が目覚めていく様」が恐ろしかった。どのシーンだったか忘れたけれど、途中で本当に自分の頭をわしづかみに掴んで、固唾をのんで見入ってしまった。それほど「狂気」がリアルだった。
反してパク・ソジュンは、いつも主役として演じているようなキャラクターではなく、言葉にするなら「とても普通の人」を、演じきった。集団心理に飲み込まれていく様、狂気が乗り移って自分を見失っていく様、「守ろう」としているのだけれど、それが本当に「守る」なのかという問いかけはたくさんあった。だけど彼はとても「普通の人」だった。公務員らしく人の為に動き、普通に家族を作って日々を平穏に過ごしたい、妻を守りたい、弱さも勇敢さも人並みの、誰も責めることができないそんな「人」だった。外から見てたらわからない、未曾有の災害に見舞われ生きるか死ぬかの瀬戸際、いざその立場になったらどうなるかわからないくなってしまうのが「人間のもつ弱さ」だから。そしてそれは生存本能ともいえる、命を長らえ生き延びようとするのは、当たり前のことだから。
だけど、そこで、どんな状況になっても、自分を見失わずに、おかしいことはおかしいということが、おかしい世界にどんどん変化していくのが、何より怖かった。まるで昨日書いた京城クリーチャーや剣の詩などの時代背景、日本が戦争をしていた頃の、自分を取り巻く世界の常識が一日で変わってしまう恐ろしさがそこに描かれていた。
だけど、その中でも自分を見失わなわず、自分の中の「全」を尽くそうとする、パクソジュン演じるミンソンの妻、パク・ボヨン演じるヨンファ。
アパート中の人が、自分たちだけが生き残ろうとどんどんたたきつけられその気になって、わが心をどこかに置き忘れていく閉鎖的な空間の中の群集心理というのは本当に恐ろしい。それにかたや飲み込まれ、かたや自分を見失わない夫婦。お互いを守ろうとしているのは間違いなかったが・・・
最初は怖がっていた人の死体も、どんどん平気になっていく様、戦いも殺人も平気になっていく様なども、人は慣れの生き物というところが、恐ろしかった。
ただ、どのシーンかは書かないけどというか忘れたけど、この辺もう少し多めに描いてもいいんじゃないか?と思う箇所があった。どこだったかな、伏線の拾い方だったかな。
ヨンタクもミンソンも亡くなって、アパートも強奪されて、一人になったヨンファが辿り着いたのは、そとの「囲われていない」場所だった。そこにあったのは・・
私は常々、「閉鎖された空間の中の集団心理ほど恐ろしいものはない」と思っている。
それは子供のころ入院していた病院や、とある活動でかかわっていたグループや、母親が昔宗教に入信していた時の家庭争議や、自分自身の弱さを知っているから。
だけど、そういうものとも戦ってきたつもりだけど、あの状態のアパートの住人の一人だったら?という問いかけが、この映画を見る意義につながると思う。
能登半島で地震が起きても、私たちは自分の生活で手一杯だったりする。
それでも、静かに心を寄せている自分も、存在している。
エンタメで終わらせるのは勿体ない。
人は性悪なのか性善なのか。
いえ。そんなものでは推し量れないんだよ。多分ね。
その場にならないとわからないが、私の信条は「愛と光」なので、
そういう自分で在ることを信じられるか問いかけた。
そんな映画でした。
自己洞察にも。明日は我が身。
おすすめです。