balideki’s diary

主に韓流ドラマや映画を見て感じたことなどを人生と絡めながら書いています。ネタはばれますのでご注意を

バリでの出来事

こんなに見ていて、「全て」に対して、「何か」を感じるドラマは、

今まで見たことがない。

 

今回、二回目。

一年半前に、散々見て、そしてこのお正月明け、

「愛の不時着」を、エンドレスリピートすること半月、

その後、ヒョンビン追いかけで、Netflixを抜け出し、

gyaoのシークレットガーデンを見ていたら、端っこにバリ出来が・・

シークレットガーデンを途中そっちのけで、バリ出来に遷移。

 

あぁ・・

 

 

掃除をしていても眠りにつく前もご飯を作っていても、

バリ出来の歌が頭の中を流れてくる。

 


[발리에서 생긴 일 OST] Lee Hyun Sup(이현섭) - My Love (Official Audio)

 

このドラマの感想をあちこちのサイトで読んでみたけれど、

心理を分析しようとか、共感しようとしても、殆ど無理に近い。

冒頭にも書いたけれど、何に対してこんなに胸の奥が詰まってくるのか、

誰の何に対して何を感じているのか。

 

誰かに対してというより、全ての人に対してでもあり、

ある意味、地球上全ての人、人間という生き物に対して抱く感情かもしれない。

 

人間の、現代の、社会構図の、愛の、情の、血縁の、

もどかしさと、歯がゆさと、いたたまれなさ、哀れさ。憐れさ。

 

そう、最初は、「哀れ」という言葉にもならなかった。

登場人物四人の、うまく出せない言葉も感情も愛情も、

ジェミンとイヌクの、対比の描かれ方も、

ハジウォンさん演じる、イ・スジョンの粗雑でいて真面目で、

あっちにこっちに揺れ動く感情と、

勝気と気弱さと、単純さ、優しさ、意地と、プライド。

幾層にも重なった、三人の様々な感情を、

こちら側も幾層も幾層も感じながら、共感というより、

ただただ哀れさといたたまれなさが、胸の中から浮き上がってくる。

こうしかできない、出来なかった、人間の悲哀とでもいえばいいか、

終始、このドラマを表現する言葉が見つからない、

どうにも胸の中をかき乱されて苦しいのに、

何故か繰り返しまた見てしまう、この、愚かでいて魅力的な人間たち。

 


[Old OST] バリでの出来事 / Remember - オ・ヒョンラン

 

それにしても、韓国の俳優さんの、スタイルの良さに感動。

チョ・インソンさん演じるジェミンの

背の高さ、首の長さ、指の長さに、うっとり。

ソ・ジソプ演じるイヌクの、精悍な体つきや、

切れ長の目と色っぽい指先にほれぼれ。

 

それに何より、この三人の演技力がすごい。

私はこのドラマで初めてチョ・インソンさんを知ったけれど、

親に怯えながらも、わがままで、いい加減に生きてきたジェミンの、

初めて腹の底から欲しくて手が届かないもの(イスジョン)への執着、

慟哭、嗚咽、回を重ねるごとに、歪んでいくジェミンの表情、

その全ての表現力が素晴らしくて、目が離せない。

 


damenanoka210.wmv

 

全般的に哀れさを感じると書いているけれど、

途中、イヌクがイスジョンのことを、「哀れな女」とジェミンに言ったあと、

イスジョンが、哀れな女扱いされたことに、憤っていた。

実際、人が人を見て「哀れ」と思うなんておこがましいし、

その言葉があまり好きじゃない。

 

余談だけれど、私の実母が、人工股関節の手術をしたあと、

心と精神が乱れていた時期があって、

電話の度に、「私は哀れだ。哀れだ。」と、再三自分のことを嘆いていたが、

その言葉に私はとても嫌悪感を持っていた。

「自分で自分のことを貶めるなんて。」みたいな感じ。

 

しかし、私もその後、人生が七転八倒して、

身体も心もボロボロの頃は、自分のことを「哀れ」とは思わなかったが、

自己憐憫の感情があったことはある。

自己憐憫に浸っていても仕方がない。」と解っていても、

そういう感情が浮き上がってくることはあるのは知っている。

それに、よくドラマなどで教会で「神様、私に憐れみを。」と、

神にすがるような言葉が表現されるけれど、

若い頃の私は「憐れみとはなんだ?」と良く思っていたし、

正直、私のキリスト教への嫌悪感が、

「イエスが贖われた。」「神の憐れみ」という、言葉に集約されていた。

しかしそれは、その言葉を乱用する、キリスト教入信初心者への嫌悪感で、

その後いろいろ勉強して理解したし、

とっても苦しかったときに、二回だけ、ベッドの上で

「神様、どうか私に憐れみを。」と、祈ったことがある。

それでも、やっぱり人が人を憐れむなんて、おこがましいと思うけれど、

今回のこのバリ出来では、哀れさを感じずにはいられない。

 

それは多分、このドラマの中の、どの登場人物にも、

「愛」も「光」も「希望」も、感じられなかったからかなと思う。

だからこそ、人が人である由縁の、

重苦しい、多層的な感情だけが、胸の中に積み重なっていく。

  

重なった挙句の、エンディングの三人になっていくけれど、

私は、17話ぐらいからは、ジェミンへの同調が、どんどん強くなっていく。

16話で、イ・スジョンにすがるジェミンが、とても愛おしく、

ベッドを共にした、その後の、一転、別れからの、苦しみ。

親に逆らえず、状況を受け容れたはずが、忘れたくても忘れられず、

どんどん恋しさが募り、ひとり苦しみ悶え、抑え、また乱れ溢れだし、

どうしようもない、のたうち回り、胸をかきむしられる思い。

 あるよね。

生きてたら、そういう思い、経験することも。

 

最後は破滅的な形だったけれど、

バリのホテルのプールサイドでじゃれ合うイヌクとイスジョンを、

窓から眺めるジェミンは、確実にイスジョンを愛していた。

きっと、あんな風にイスジョンを笑わせるのは、自分で在りたかった

そんな思いが、読み取れた。

そのジェミン、チョ・インソンさんの表現力に、感服。

 

そう、本当に最後の最後で、愛という光が見えたのに。

イスジョンも、他の人に抱かれることで、

やっと、自分の心を知った。わかった。

愛しているのは誰か、心が求めているのは誰なのか。

あるよね。

女やってると。生きていると。

そういうことも。

 それなのに。。。

 

何処かの解説に、イ・スジョンが、今わの際にジェミンに言った「サランヘヨ」は、

「あなたも愛している。」だった、とあったけれど、

イヌクへの愛は、穏やかで、どちらかというと恋で、乙女心。

ジェミンに惹かれる自分は、あの激しさの中に身を投じてしまいたい、

目一杯委ねてしまいたい、受け容れて求めてしまいたい、

情熱的な、刹那的な、身体の奥から上がってくる、熱を帯びたそれ。

だけど、いつも諦める人生ばかりやっていて、どうしていいか、わからない。

 

素直で自分らしく生きることを赦されなかった者たちは、

愛と光、狂気と破滅は、同時に表層へ。

 

穏やかで優しく包んでくれる、意思を尊重してくれるイヌクの愛と対比された、

幼い、自分勝手で独りよがりかもしれないけれど、

激しく情熱的な全身から求められる愛は、

本質的なレベルの高い愛ではないのかもしれないけれど」、

呼応して、全身がそちらを欲してしまう。

そんなことも有るよね・・・。

 

それでいて、ジェミンが自決するシーンの、

悲しさと驚きと切なさと、

楽園と謳われたバリの夕陽、

そして崩れ行くジェミンの身体のシルエットの美しさが、

私の中からも嗚咽、慟哭を招かざるを得ない、

なんとも、どこまでも切ない、名作です。

 

 

 それでも、来世は笑顔で、ハッピーエンドで。是非。

 


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